現代スイス建築事情
10/15は研究室にて、チューリッヒ在住の合屋統太さんに「現代スイス建築事情」についてお話頂きました。
合屋統太 1980年福岡生まれ。2003年東京大学工学部建築学科卒業。2003年−2004年パリ・ラヴィレット大学、ミュンヘン工科大学留学。2005年東京大学大学院修了。2005年-2007年坂茂建築設計。2007年−2009年HOSOYA SCHAEFER ARCHITECTS Zurich。
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10/15は研究室にて、チューリッヒ在住の合屋統太さんに「現代スイス建築事情」についてお話頂きました。
合屋統太 1980年福岡生まれ。2003年東京大学工学部建築学科卒業。2003年−2004年パリ・ラヴィレット大学、ミュンヘン工科大学留学。2005年東京大学大学院修了。2005年-2007年坂茂建築設計。2007年−2009年HOSOYA SCHAEFER ARCHITECTS Zurich。
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「回折の家」が2009年度グッドデザイン賞を受賞しました。
http://www.g-mark.org/award/detail.html?id=35417
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GWはジェリコ(Geoffrey.A.Jellicoe)のモートピアについて調べ中。 だけど案の定、和文では「欧米の都市開発 」以外資料無し。評論も殆ど見つからない。
建築と自動車の一体化を図った提案としてはかなり初期のもの。プラグイン・シティが1964年だから、1960年のモートピアの方が先駆的。ラウンドアバウトもいかにもイギリス的。
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3/8は建築学会九州支部研究発表会で沖縄・琉球大学へ。 大学院生全員(松井君・大西さん・藤さん・中西さん)と犬山君が研究発表。 僕は司会のみ。
研究発表会終了後、研究室のみんなと門建築研究所へ。鈴木さん、突然お邪魔してすみませんでした。 所長の金城優(故金城信吉の長男)さんとも旧知の仲です。 琉球大に赴任した当時、沖縄の土着パワーに圧倒されまくっていた時、さらっとした風貌だが寡黙なイケメンと出会ったのでした。土着的な建築言語をさらりとかわしながら出来ていく(当時は住宅ばかりだった)建築は、沖縄では傑出した存在でした。コンペや団地再生などいくつかプロジェクトをご一緒しましたが、実現(実際に建った)したものはありませんでした。その頃、僕もCADのスピードには自信があったのだけど、彼の超人的CADスピードには全く凌駕されてしまったのでした。 その後、琉球大の卒業生が彼の事務所スタッフとなったりしました。
久々に沖縄を訪れると、複雑な気分になります。 食・音楽・友人達は変わらないのだけど、建築のつくりかた・つくられかたがかなり変わってきている。 そろそろ沖縄研究も再開、ですかね。
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2/21は、九州建築賞の二次審査に残ったので、九大西新プラザへ。 今年もいろんな方と会えて楽しかったです。 イノウエサトルさんのプレゼンは面白かった。
プレゼンの後は重松先生と片野先生の最終講義+パーティーへ。
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2/15は、社会人院生の原田君が設計したお蕎麦屋さん・ぶんろくの見学会で大牟田へ。
限られたコストでの奮闘ぶりが伺えます。 コンパクトな平面にいくつかの異なった開口を空け、光を入れている。プラスター系の素朴な外壁仕上げだけど、ファサードの化粧木は、時を経るごとに風合いが増して行くでしょうね。
お蕎麦はたいへんおいしゅうございました。
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2/6は都市プロジェクト後半課題の最終講評会。
演習日毎にエスキス内容を決めているにも関わらず、提出間際までプログラムの話が延々と続き、建築空間へと展開できず。容積率・建蔽率をはじめとする様々な制約も全く無視。とにかく図面の精度が低い、というか、無い。でたとこ勝負のやっつけ設計ではいけません。前半の課題とセットになったのも学生さんにとっては悩ましかったのかもしれませんね。これはこちら側の反省点。エスキスの方法・設計の進め方・図面の描き方をさらに細かく伝える必要があるのかもしれません。過保護と言われてもね。
それでも数名は質の高い提案がありました。 横山俊祐賞は佐々木君へ。田上賞は堤君へ。今回は2人でもう一作品、小木曽君を選びました。 賞品は気に入って頂けたでしょうか?
写真はボルドーからの交換留学生の作品。
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11/20は社長宅の上棟式へ。 生憎の小雨でした。 が、集まっている人の多さと、振る舞われた餅・お金・お菓子の多さに驚愕。近所の子ども達はレジ袋一杯に持ち帰っていました。
設計者はまかなくてもよいのか?と一瞬思いましたが、この辺はその風習なし。 ちょっとまいてみたかったかも。。
5円玉をまくのは、山口や北部九州に多いそうです。それも家主の歳の数だけまくとか。名古屋を中心とする中部地方は50円玉をまくようですが、これにはなんとなく納得。以前、茨城で参加した上棟式では、親戚一同が紅白餅を用意するということを聞いたこともありました。あたり前のことですが、その地域によってやりかたは異なります。
上棟=棟上げは、特に木造建築においては最も重要な儀式だ。骨組みが一気に出来上がるこの日を、大工さんたちは仕事の山場と位置づける。この日のために精を出し、それが報われる日だからだ。
今回もプレカット無しの手刻み材を使用しているため、棟上げには予想以上の時間を要した。しかし、軸組材の材種・寸法・使用位置・継ぎ手の補強法などすべてが明らかになる。手抜きのしようもない。偽装なんてこんなあからさまな場では当然通用しない。昔の人たちはよく分かっていたという訳だ。
家主・親戚・多くの近所の人達と友人知人が見守るなかで、慶事は盛大に行われた。
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大分の家の床は、t38の無垢杉板うづくり加工としています。 厚みがあることもあって、値段ははっきりいって高いです。
うづくりそのものは、早材と晩材の密度の差が大きい杉の特徴を最大限に生かしたもので、滑りにくいし暖かみもある。ただ、この暖かみは針葉樹ゆえの密度の低さに起因。密度の低さ→暖かみ→柔らかさ→傷が付きやすい、ということ。表面を熱と蒸気で圧密加工すればいいのでしょうが、硬さはそう変わらないのでは。材の品質管理も難しいし。
ナラ・ブナなどの広葉樹は、乾燥の要求が厳しい楽器や家具を対象とした基準で技術が構築されてきたが、針葉樹は建材としての使用が主だ。JASには平衡含水率15%以下という基準が設定されているが、寸法を安定させる材はそれほど多くないのも現状か。
このしっとり感ははなかなかいいのだけど。
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ロンドンのテラスハウスは、カムデン・ガーデンズ、スパン・ハウジング、カウパーテラス、あるいはパークレイズやランガム・ガーデンズなどがよく知られているところか。
スターリング設計のランガム・ガーデンズ(1961)はル・コルビュジェのメゾン・ジャウルをオリジナルとしていることもあって、引き合いに出されることが多い。 English Heritageの登録建築物になったとも聞く。
テラスハウスではないのだけれど、デイヴィッド・ワイルド自邸(42 and 44 Rochester Place)はテラスハウスのそれのようにアーバンマナーに忠実でいながらも、木理の細かいデザインは印象的だった。 このデイヴィッド・ワイルド自邸は日本では紹介されることもなく、話題に上ることさえ少なかった。
ISOVISITA法を使ったデイヴィッド・ワイルド自邸の内部空間の解析は建築学会大会に発表済なので、参照されたし。
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築23年のマンションのユニット改修の設計をすることになりそうです。
真っ先に思い出したのは、英国留学時代ののフラットだ。
僕は北部イングランドのマンチェスターという地方都市の、寂れたヴィクトリア様式のテラスハウスを友人達とシェアしていた。 ポーランド系イギリス人のオーナーおばちゃんは、毎週の家賃取り立てにはとてもうるさかったけど、インテリアの改修には寛容だった。 窓枠の緑色がどうしても気になって、白に塗り変えていいかと聞いたら許してくれた。 調子に乗って、リビングの壁もオフホワイトに塗り替えた。 ただし、これは一面だけ。あとの三面には造り付けの家具があったからだ。
ロンドンの友人宅を訪れた事も思い出した。 ロンドンの町中のヴィクトリア朝・ジョージア朝時代のテラスハウス。 この重厚な煉瓦のファサードからは想像もつかない様々な現代的なユニットが隠されていた。 ファサードが重々しくクラシカルであればあるほど内部空間とのコントラストや不連続感が際だっていた。 街区から古びたスチールのゲートを開け、共用のホールを通り、手動式開閉のリフトを使って、ユニットのドアを開ける。 時代を遙かに超える空間が、ドア一枚を隔てて存在した。
Night BridgeやSouth Kensingtonの住宅地には、外壁が白いスタッコのテラスハウスが多い。 ここでは、ロの字型の住棟で囲まれた住人だけが使えるコモンガーデンがあって、大抵大きな樹木が茂っている。 住人は、自宅のテラスから直接アプローチできる。
残念ながら、日本でこういった空間体験をできる場は極めて少ない。
リノベーションなんて言葉も随分前から流行っているけど、玉石混合感は否めない。
John Pawsonは日本でもかなり有名だけど、彼のロンドンにあるVan Royan ApartmentとRothman Apartmentは特によく知られているのではないか。少々対比的だけど。 線の少ないプランの美しさ、ブナ材の琥珀色・カラーラ大理石の灰色・スチールの無垢色という素材の色のみが許されているという清々しさ、何よりも、幅木やドア枠を背後に隠した壁の浮遊感、最小限のダウンライトと窓全体を覆うブラインドによる光の制御。
篠原一男の白い空間よりさらに静謐で豊潤な空間か。
静謐で豊潤な空間、あるいは零度の空間の中で、人が感応し相互作用が起こることもまた必要だ。
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漆喰は土壁の仕上げとして奈良時代から使われてきた。 何よりも真っ白な壁は貴重で、寺院などに限定的に塗られた。 土塀などにも塗られたが、表通りに面している部分だけを漆喰で仕上げ、あとは土壁のままにしていたことが洛中洛外図にも描かれている。
漆喰は消石灰に砂、糊、麻すさや紙すさを混ぜたものだ。 消石灰をつくるには石灰石や貝殻などを高温で焼かなければならないし、糊も米を原料とすることが多かったであろうから、材料を調達するだけでも相当な経済力が必要であったことが伺える。 つまり、漆喰壁は権威と富に結びついていたことになる。 当然、仕上げ技術を持つ職人も限られていた。
江戸以降の格式空間では、座敷長押上の小壁に塗られることが多かった。 城郭壁もその厚さもさることながら、漆喰を塗ることで耐水性・耐火性・耐久性などの性能と、権威を象徴する意味を合わせ持っていた。
ただし、漆喰は白だけではない。 墨や麻すさが混じった黒漆喰もある。 土佐漆喰も最初は黄色に近いし、沖縄のムーチーもこの土佐漆喰に似ている。 焼成に時間をかける塩焼き石灰石も使うのも共通か。
大分の住宅では、設計上は金ゴテ仕上げを指示した。 磨き仕上げとし、光沢を上げるために紙すさの混入も指示した。 が、職人さんの不足を理由に、あえなく引き摺仕上げに。 パラリ仕上げはリシン風になって、とても不満なのだけど。
それでもリビング内部の壁面は何とかうまくいったか。
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竹橋の近代美術館で開催中のピーター・メルクリと青木淳展へ行ってきました。
偶然にも大学の後輩、大竹幹君(象設計集団の創設者の一人、故大竹康市氏の息子)と彼のお母さんとばったり会いました!
メルクリはスイス・ボックス派の一人。
メルクリのドローイングを見ながら、ヘイダックのことを考えていた。
建築に関する言葉は無数にあるが、寡黙で思弁的な空間なほどその表現に詰まる。
ヘイダックは僕の20代に大きな影響を与えた。
Mask of Medusa
Vladiviostock
The collapse of time
Victims
Sanctuaries
これらヘイダックの作品集(既に全て絶版?)は今も深く静かに僕の書棚に眠る。
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